第9(10)位 シベリウス

出身区分  フィンランド/ロマン派~近代
生年没年  1865(ハメーンリン)-1957(ヤルヴェンパー)
学歴  ヘルシンキ音楽院-ウィーン音楽院
主な作品
  • 交響曲第1番ホ短調(35位)
  • 交響曲第2番ニ長調(14位)
  • 交響詩《フィンランディア》

 

■作曲家への道のり

 シベリウスは、当時、帝政ロシアの支配下にあったフィンランドに医師の息子として生まれた。ヘルシンキ大学で法律を学びながらヘルシンキ音楽院に入学、ヴァイオリンと作曲を学び、その後、政府の奨学金を得てベルリン、さらにウィーン音楽院に移った。卒業後は、ヘルシンキ音楽院で教鞭をとりながら作曲を続け、1892年にクレルヴォ交響曲を発表、1897年には政府から終身年金の支給を受け、作曲活動に専念する。その後は、1899年にはフィンランディア、交響曲第1番、1902年に交響曲第2番を発表するなど、大作曲家への道を歩み始める。

 

■得意な楽器

 シベリウスは、ヴァイオリニストとしてウィーンフィルハーモニーを受験するほどの腕前だったが、元来のあがり症のため、演奏者の道を断念したというエピソードがある。そのためか、ヴァイオリンのための作品はそれほど多くないが、一曲だけ残されたヴァイオリン協奏曲は、北欧のひんやりとした感触の中に、熱い情念の炎が燃えたぎるような入魂の作品である。チャイコフスキーの協奏曲と共に、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームスによる三大ヴァイオリン協奏曲に続く名作として高く評価されている。実際、ヴァイオリンの高度なテクニックを駆使し、演奏効果も高いこともあり、世界中のヴァイオリニストが好んで取り上げる作品になっている。この作品を聴いていると、ヴァイオリンという楽器自体に寄せるシベリウスの思いを感じることができる。

 

■人物について

 シベリウスは90歳を超える長命の作曲家だった。しかし、その活動期間は、五十代までに限られ、最後の交響曲である7番を作曲以降は、交響詩《タピオラ》を最後に、だった作品を残さず隠遁生活を送っていた。交響曲第8番の作曲も何度も噂され、実際にも書かれてたようだが、結局は破棄されたと言われている。いわゆるクラシックの現代音楽の分野だけでなく、新しい分野の音楽も台頭する中、彼は、自らの道に行き詰まってしまったのではないか。後期の交響曲にも聴かれる、極限にまで抽象化された、透明感溢れる音楽を聴いているとそれが真実ではないかと思わざるを得ない。苦虫をつぶしたような彼の怖い顔写真を見ていると彼の底知れぬ苦悩が伝わってくるようだ。

 

■得意分野

 7つの名作を残した彼は、20世紀最大のシンフォニストであろう。15曲の交響曲を書いたショスタコーヴィッチが、協奏曲や室内楽、歌劇など他の分野にもたくさんの名作を残したのに対して、シベリウスの重点は交響曲にのみ向けられている。北欧の雄大で厳しい自然を思わせる第1番に始まり、音の大伽藍とも言えるような荘厳な第7番まで、それぞれが、シベリウスにしか書けない強い個性と魅力に富んだ名作揃いだ。セシル・グレイをはじめ、専門家の間では、最も難解で凝縮された作品である第4番や最後の7番の評価が高い。一般的には、歌えるメロディが豊富で豪華なオーケストラの響きが楽しめる2番、1番、5番の人気が高い。

 

回答の傾向


 シベリウスの特徴は、「あまり好きではない」と「嫌い」と回答した人の割合が13%もいたことだ。好きの割合も64%を超えているが、嫌いの割合が高いことから、減点ポイントが多く9位に甘んじることとなった。

 楽器別に見ると、好きな人の割合は、ホルン、トランペット、チューバで7割を超え、ヴァイオリン、打楽器でも約7割となっている。評価が低いのは、コントラバスで、好きな人の割合は5割を超えるが、嫌いな人の割合が3割近くになっているのが特徴的。

 

 シベリウスの評価が最も高いのは40歳~59歳の充実世代。次いで、60歳以上のベテラン世代。若い世代の評価はほどほどである。これも不思議な傾向だ。