「ロマン派から近代の音楽へ」

ロマン派音楽研究会ROMUVE代表幹事

   実存思想協会会員 宮川清吾

本日は、私どもロマン派音楽研究会ROMUVEが主催する、ポストロマン派の室内楽演奏会にご来場いただき、誠にありがとうございます。

 

まだ、開演までは10分以上あるのですが、この時間を使いまして、私の方からお配りした「ロマン派から近代の音楽へ」というペーパーを使いまして、若干、今回の演奏会を理解するのにヒントとなる情報をお話したいと思います。

 

 皆さんの前でお話をするのは、当会代表幹事の宮川です。私は音楽や哲学の専門家ではありませんが、大学院でロマン派音楽をテーマに修士論文を書きまして、現在ではハイデッガーを研究する実存思想協会という学会にも所属しています。そんな立場からお話をさせていただきます。

 

さて、始めに二枚目のスライドですが、「藝術とは何なのか」という問いは、実は古い歴史があり、古代ギリシャの時代から論じられているテーマです。現在でも岩波書店から出版されている「詩学」という著書、というか、これはアリストテレスの授業の内容なのですが、に書かれている内容をここでは最初に紹介させていただきます。

 

アリストテレスは、詩学の中で、創作芸術の本質をミメーシスとしました。日本語では、模倣とか表象と訳されています。また、「悲劇」とは、「あわれみとおそれを通じて、そのような感情の浄化(カタルシス)を達成するもの」という概念で整理しました。

 

アリストテレスは、その書籍の中で、ソポクレスのオイディプス王を取り上げていますね。このお話は、自分の父親を殺し、母親を犯してしまい、それを後で知り、自らの目を潰して王を追われるオイディプスのすさまじい悲劇が描かれています。この悲劇も日本語で読めますので、ぜひ、ご一読ください。

 

アリストテレスが提示したこうした芸術の概念は、実は、その後、西洋哲学の最も重要な概念として連綿と引き継がれ、これが現代にも影響を与えています。

 

裏面の3枚目のスライドをご覧ください。

それではロマン派音楽とはどのような音楽であったのかということですが、時期については、定まった考え方はありませんので、ここれは私が授業で習った笠原潔先生の定義によりますが、ベートーヴェンが円熟期に入った1800年初頭から、マーラーが亡くなった1900年初頭までの概ね100年間をロマン派の時代としたいと思います。

 

また、理念としては、人間の感情や自然に無限の信頼を寄せるという点が重要です。特徴としては、古典音楽が美を目指しているのに対して、ロマン派は、真を目指しています。汚いものや感情も人間の本性の真理であると捉える考え方です。

 

さらに古典音楽が調和や形式を重んじるのに対して、ロマン派音楽は、生ける自然の自由さ、感情の拡大が特徴です。上演に4か間もかかる大作、ワーグナーのニーベルングの指環や,上演に千人も必要となるマーラーの一千人の交響曲など、ロマン派音楽の典型と言えるでしょう。

 

そうした外形を持っていますが、先ほどのアリストテレスの詩学との関係で言えば、人間の感情や世界の真理をミメーシスする姿勢がロマン派音楽の特徴であろうと思います。

また、悲劇によるカタルシスは、ロマン派音楽では、「陶酔」という感情を引き起こします。この「陶酔」という感情は、以前では、人間の本性として低いレベルのものと捉えられていましたが、ロマン派の時代になると、これがより積極的な意味を持つようになります。

 

最後のスライドです。

それでは、近代音楽とはどのような音楽なのでしょうか。

そこに書いたように近代音楽の本質はロマン派音楽の反動であると思います。

上演に10時間以上かかるオペラや千人以上必要となる交響曲など、拡大の一歩をたどったロマン派音楽に対して、近代の作曲家たちは、より簡素で即物的な表現を目指します。本日、演奏されるショスタコーヴィッチのピアノ五重奏曲についても、最初に、「前奏曲とフーガ」で始まります。バッハを思わせるこうした手法は、徹底してロマン派と決別する作曲家の強い意志を感じます。

 

ただ、アリストテレスが述べたミメーシスという視点は、作品で真実を描くという意味で残っています。この時代の音楽は、「絶望」や「諧謔」によって世界を表象しています。

 

それはなぜか。

近代という時代は、現実が表象の限界を超えてしまったと考えています。

ナチスドイツによるユダヤ人迫害ホロコースト、そして、スターリンによる自国民に対する大粛清。世界大戦を含めたこうした殺戮の現実が、芸術でそれを表象するという行為を沈黙化させてしまったと考えられます。ましてや悲劇による「陶酔」の感情はもはや生まれようがない状況になってしまったのです。

 

こうした時代において、ショスタコーヴィッチの音楽は、バルトークと並んで、極めて時代の真実を高いレベルで音楽化し、表象していると評されています。

 

そのキーワードとしては、「音楽には言葉がない」ということにあると考えられます。

「人民の敵」として粛清(殺害)される際のところで、ショスタコーヴィッチは生き延びます。その音楽は、体制的であるのか、そうではないのか。答えは誰にも分かりません。その音楽は、仮面の音楽、あるいはシニカルであると言われます。強制的に笑いながら、仮面のうら側では泣いている人々の心を表象しているのではないかと考えらるのです。

 

今日は、短い時間ではありましたが、ショスタコーヴィッチの音楽を理解するためのヒントとなる講演をさせていただきました。ロマン派の全盛時に書かれ、美しいメロディがたくさん出てくるドヴォルザークの作品のあと、ぜひ、ショスタコーヴィッチの音楽をこれまで述べた内容を参考に聴いていただければ幸いです。ご清聴ありがとうございました。