KAFFEE PAUSE

ブルックナー/弦楽五重奏曲ヘ長調


第1楽章 Gemäßigt 3/4

第2楽章 Scherzo. Schnell-Trio Langsamer 3/4

第3楽章 Adagio 4/4

第4楽章 Finale. Lebhaft bewegt 4/4

 

[作曲者について]

 アントン・ブルックナーは、小学校の校長をしていた父親と前任の校長の娘を母に、オーストリアの田舎アンスフェルデンで生まれました。幼少の頃からオルガンなど音楽教育を受けましたが、父親同様に小学校教師の道を進みます。父親と本人の職業は、先輩シューベルトと大変似ていることが注目されます。その後、オルガン演奏の腕前を認められ、32歳で大都市リンツ大聖堂のオルガニスト、44歳でウィーン音楽院教授、そして、51歳のとき、念願であったウィーン大学の教員も務めることになります。その間、31歳からの6年間、シューベルトも門を叩いた名匠ゼヒターの下で厳格な和声法を習得し、リンツ時代には劇場の指揮者キツラーの下でワーグナーの音楽や管弦楽法を学ぶなど、旺盛な向学心によって、地道に大作曲家としての地位を築いていきました。一部の宗教作品を除くと生涯のほとんどを交響曲の作曲に捧げましたが、30歳代で本格的に学び、第1番の交響曲を書いたのが42歳の時と、作曲家としては相当な「遅咲き」であることが特徴です。

 当時のウィーンでは、古典的な様式美を芸術の旨とするブラームス派と、それまでの伝統的な様式にこだわらず、劇的な文学的要素を音楽に取りこんでいたワーグナー派が激しく対立していました。ワーグナーの音楽に心酔したブルックナーは、ワーグナー派に属したことから、音楽学者ハンスリックなどブラームス派の評論家から執拗な攻撃を受け、そのことが彼の改訂癖を助長することになります。

 さて、ロマン派音楽最大の交響曲作曲家と言えるブルックナーですが、この珠玉の室内楽作品を残してくれたのは、私たちにとって大変幸運なことと言えるでしょう。この作品は、ヴァイオリニストのヨーゼフ・ヘルメスベルガーからの求めをきっかけに作曲されましたが、ブラームス派との対立に巻き込まれたくなかったヘルメスベルガーが演奏を渋ったため、初演はブルックナーの弟子を中心としたメンバーによって、ワーグナー協会の主催で1881年に行われました。

 他の作曲家の室内楽作品と比較すると、まず、演奏時間が長く、また、「全休止」や「長大なクレッシェンド」など、ブルックナーの交響曲に見られる個性が強く表れています。5本の弦楽器から生み出されるオーケストラを思わせる壮大な響きは他の作曲家の室内楽からは感じられないこの作品の最大の特徴でしょう。

 当時から、ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲と比較されるほど高い評価を得ましたが、崇高ささえ感じさせる第3楽章は特に注目され、かのフランツ・リストは、ブルックナーを愛好しなかったにも関わらず、この楽章をピアノ連弾で好んで弾いたと言われています。                

 (演奏時間:約45分)

[各楽章について]

第1楽章 Gemäßigt(中庸の速度で)ヘ長調 3/4

 ソナタ形式。すぐにヴァイオリンの幽玄なテーマで開始される。全体で3つの主題が用いられ、彼の交響曲同様の雄大で複雑な構想を示す冒頭楽章。

 

第2楽章Scherzo. Schnell-Trio Langsamer ニ短調-変ホ長調3/4

 幻想的な雰囲気を持つスケルツォ。急速なパッセージからなり複雑な調性移行を行う主部と不穏な気分のトリオからなる。この楽章は、ヘルメスベルガーの気に入らなかったため、現在、「インテルメッツォ」として知られる別の楽章に書き改められたが、初演後、結局、ブルックナーによってオリジナルの楽章に戻された。

 

第3楽章 Adagioロンド形式(A-B-A-B-A) 変ト長調 4/4

 この作品の白眉。彼の交響曲とも比較される崇高な美しさを誇る緩徐楽章。チェロやヴィオラによる長い旋律がロンド形式の中で何度も繰り返され、最後は冒頭主題が大きな弧を描くかのように演奏され静かに終わる。

 

第4楽章 Finale. Lebhaft bewegt ヘ短調 4/4

 複雑な構成と和声を持ち大変演奏が困難な楽章。第1主題は、分散和音的な断片、第2主題は打って変わって舞曲風、そして、第3主題はゴツゴツとしたフーガとなるなど、特徴ある3つの主題が、まさにブルックナー的な対位法処理を施され自由に展開される。最後は序奏主題が再現されヘ長調のコーダで輝かしく終わるところは、まさに彼の交響曲を思わせる雄大な書法である。

※2019年9月29日公開研究会プログラムノートから