KAFFEE PAUSE

カラヤンのマイスタージンガー


 

 かつて学生のおり、ワーグナーの上演を観ることはもちろんのこと、LPを買うことさえ、僕らにとっては、清水の舞台から飛び降りるような覚悟を決めなくてはできなかったことでした。

 そんな学生時分、中古LP祭で手に入れて以来、わくわくしながら6畳間でヘッドホンにかぶりつきながら聴いたのがこのLPです。

 

 この演奏は名盤として有名ですが、多くの人が絶賛するのが、そのオーケストラの音色です。僕の音の良くないシステムでも、この演奏におけるドレスデン国立管弦楽団の古雅とも言える音色の素晴らしさは本当によく分かりました。

 重厚であたたかい弦楽器の響きはもちろんですが、微妙なビブラートがかかりながら、懐かしく、そして深々と響くホルンの素晴らしさは筆舌に尽くしがたいほどです。オーケストラは、西側から帝王カラヤンを迎えるということで、大変な張り切りようだったとレポートに書かれていますが、確かにそうだったのだろうなと思わせる演奏ぶりです。こうした感興は、もしかすると東と西に分かれていた不遇の時代だったからこそ、起こりえたのかもしれませんが…。

 

 さて、そのカラヤン。やはり、ただ者ではないと言うべきでしょう。こうした古雅で馬力のあるオケを使いつつも、その演奏は、カラヤンでしかなしえない歌い回しに溢れています。第一幕のフィナーレなどは、カラヤンにしかできない芸当でしょう。登場人物がそれぞれ自分の思いを好き勝手に歌い合う混乱した場面で、彼は多くの歌手に歌わせるのではなくて、ひそやかに語らせたのです。そうしたことによって、このシーンの複雑な対位法的面白さは消し飛んでしまっています。その代わりに、逆に見通しのよい『歌』が流れるのです。

 

 さて、歌手についてですが、僕には堪えられません。アダムのザックスが聴けるからです。彼はカラヤンとのレコーディングということで、大変ナーバスになって録音会場に入ったと伝えられていますが、見事なできばえです。確かに、彼独特の癖のある歌い回しのため、彼のザックスには好悪が分かれるでしょう。後年に聴いたブレンデルやヴァイクルの滑らかなフレージングを持つ物わかりのよいザックスではなくて、いかにも『靴屋』という感じの、無骨な印象になるからです。カラヤンの滑らかな味わいとアダムの無骨さは本当に対極的です。しかし、この対立こそがこの名盤の価値をいっそう高めたと言えるのではないでしょうか。

 

 そう言えば、清廉な声で若々しくて素敵なカップルを演じたコロやドナートは、もちろんカラヤンの理念を体現するような流麗な歌い回しです。対して、ダービットを担当したシュライヤーは、アダム同様の味わい深く、複雑な解釈を見せます。

 そう考えてくると、この演奏はカラヤン的なるものと、東ドイツ的と言ってよいような無骨な力強さが鋭く対立しながら、互いの魅力を高め止揚した名盤であるとも考えられるのです。東ドイツを代表する名門オケであるドレスデン国立管弦楽団は、もちろんアダムやシュライヤー側に立つのです。

 

 それにしても、アダムのザックスにシュライヤーのダビットなんて聞いただけでワクワクする組み合わせではないでしょうか。その後、ベルリン国立歌劇場がスイトナーとともに、来日公演を行った際、この組み合わせが日本でも実現しましたが、歌はもちろんのこと、両名の演技がなんとも味わい深くて、こちらも僕の最高のマイスターとなっています。僕は古い録画ビデオを保有していますが、DVDでの発売を期待しています。