講演者:渋川ナタリさん(ピアニスト)
場 所:前橋市児童文化センターみんなのホール
日 時:2016年8月28日(日)午前9時30分~12時
1 シューベルトってどんな人
こんにちは!
ただいまご紹介にあずかりました、渋川ナタリです。今日は、『ピアニストから見たシューベルト』というテーマで、ピアノの演奏もまじえながらお話をさせていただこうと思います。
会場には小さいお子様もいらっしゃるようなので確認なのですが、シューベルトって名前を聞いたことない人いますか?お菓子だとか、動物の名前だと思っている人は、あ、大丈夫そうですね。)
はい、ではさっそく、シューベルトの基本情報からまいりましょう。眼鏡をかけたちょっといい感じのおじさんですね。ただ、その当時、似顔絵は本人よりも素敵に描くのが普通だったようで、実際にはもう少し太っていた、という噂もございます。
シューベルトは、18世紀の終わりから19世紀の始めにウィーンで活躍した作曲家です。そのころのヨーロッパがどんな時代だったかというと、革命や戦争が終わりかけ、社会には混乱が残っていた、という感じだったようです。ウィーン会議という国の代表同士の話し合いが行われ、これからはルールを作って、仲良くやっていこうね、というような時代です。そのころの日本は江戸時代後期で、他の国とは関わりません!という鎖国政策をしていました。
音楽の時代分けでいうと、シューベルトは「ロマン派」という時代の作曲家です。その前の「古典派」という時代は、音楽そのものの美しさや構成を大事にした作品をつくっていましたが、「ロマン派」の作曲家は、より自由に自分の感情や、情景などを音楽に表現するようになっていきます。
音楽好きのお父さんの影響で音楽に親しみ、その才能と人柄から、たくさんの友達に恵まれていたようです。それについては、また後でくわしくお話しますね。
シューベルトが他の有名な作曲家と比べて少し珍しいことは、自分の活躍できる場所を求めて色々な地方に移り住んだりはせず、生涯ウィーンに住んでいた地元密着型の作曲家だったことです。
■シューベルトの生家
実は今年の6月にウィーンに行ってきまして、シューベルトのお家を訪ねることができました。これがシューベルトの生まれた家で、彼のかけていた眼鏡が飾ってありました。
■シューベルト最期の家
これは、シューベルㇳが亡くなった家で、シューベルトの兄弟の家だったそうです。一応観光できるようにはなっているのですが、近くに看板もお土産屋さんもなくて、とてもわかりにくく地味でした。
■同時代の作曲家
ちなみに、シューベルトと同じころに活躍していた作曲家は、こんな感じです。ベートーヴェンをとても尊敬していたシューベルトは、「ベートーヴェンの後に、何が作曲できるのでしょう!」という言葉を残しています。病気で寝ているときに「ここにはベートーヴェンがいないじゃないか」といううわごとを言ったという話もあります。ベートーヴェンがなくなった次の年に、後を追うようにシューベルトも亡くなり、友達たちの協力のもと、シューベルトのお墓はベートーヴェンの隣に立てられました。
リストはシューベルトのことを「最も詩情ゆたかな音楽家」と評価して、シューベルトの作品をたくさん編曲しています。シューマンも、シューベルトを尊敬していたといわれています。
■シューベルトクイズ
さて、ここで皆さんにクイズです。
作曲家には後の時代の人がよく「ニックネーム」のようなものをつけますね。「音楽の父」バッハとか、「ピアノの詩人」ショパン、「ピアノの魔術師」リストなど、たくさんあります。では、シューベルトは何と呼ばれているでしょうか?次の3つの中から選んでください!
① ピアノの王
② 歌曲の王
③ 大魔王
はい、正解は②の「歌曲の王」でした!
③の大魔王は、シューベルトの歌曲のなかでも特に有名な、「魔王」という曲をもじったひっかけでした~!
では、ここでその「魔王」を聴いてみましょう。この曲は、嵐の夜に、高熱で苦しんでいる子供を、お父さんが馬に乗せて医者に連れて行こうとするところから始まります。その途中に魔王が「こっちにおいで」と甘くささやきながら登場し、お父さんが気づいた時には息子さんは亡くなっていた、という怖いお話が音楽になっています。
♪最初のピアノのダダダ…というのが、馬のひづめの音、♪が子供の叫び、♪の部分が魔王の誘う声と、うまく描き分けられています。
♪魔王CD
この曲は、のちほどROMUVEの皆さんがオーケストラで演奏してくれますので、ぜひ楽しみにしていてください!
■シューベルトクイズ Vol.2
では、引き続き、歌曲についてのクイズです。
シューベルトは生涯何曲の歌曲をつくったでしょうか?この中から選んでください。
① 50曲
② 100曲
③ 600曲
はい、正解は、③の「約600曲」でした。すごいですよね!
シューベルトは少年時代、現代でも有名な「ウィーン少年合唱団」に入っていました。
彼は歌曲だけでなく色々な楽器の曲を残していますが、音楽の原点はいつも歌にあるといっていいと思います。
2 ピアニストとシューベルト
さて、シューベルトがピアニストから見てどういう作曲家か、というお話を、個人的な経験からお話しできればと思います。
まずは、シューベルトのピアノ曲を少しお聴きください。
♪即興曲Op.90-2 変ホ長調
はい、明るく楽しげにキラキラした部分と、少し怒ったような、嘆くような、強い部分があったと思います。
今の曲はシューベルトのピアノ曲では比較的短いほうで、長い曲ですと30分以上かかるものもあり、「天国的な長さ」と言われたりします。でも実は私は、シューベルトのそのような大曲はあまり弾いたことがありません。なぜかというと、先生に「若いうちに無理に弾かなくてもいい」と言われていたからです。「テクニック的な問題ではなくて、精神性を自然に理解するのに時間がかかるから」とのことでした。
ですから、私がシューベルトの作品の中で一番多く弾いているのは、歌曲の伴奏です。私に限らず、ピアニストがシューベルトとちゃんと出会う機会は、歌曲の伴奏が一番多いのではないかと思っております。
シューベルトの歌曲は、ピアノパートも大変よくできていて、先ほどの「魔王」もそうですが、情景が目に浮かぶようなピアノの音型がつけられています。たとえば、「糸を紡ぐグレートヒェン」では、♪…糸車が回っている音型とグレートヒェンの悩みが表されていますし、「ます」の最初の部分では、♪…魚が元気に泳いでいる様子、「郵便馬車」では♪…馬がパカパカ走るリズムに郵便配達のラッパの音が乗って、軽快な様子で音楽が進みます。
このように、シューベルトの歌曲では、ピアノは歌を支える「伴奏」ではなく、世界を一緒に描く積極的な役割が求められています。絵に例えるなら、歌手が主役の人物画、ではなく、人も登場する風景画、そしてその全体の風景をつくるのがピアノ、というイメージでしょうか。
ですから、ピアニストは、シューベルトの歌曲の世界を知っていくことで、逆に彼のピアノ曲がわかってくる、そんな面があるのではないか、と思っています。
3 シューベルトと仲間たち
シューベルトにはたくさんの友達がいた、というお話は最初にしましたが、彼の人生は友達がいなければ成り立たなかったといってもいいくらい、様々な面倒を見てもらっていました。たとえば、彼は定まった家を持たずに友達の家を泊まり歩いて、友達の家のピアノで作曲していたりするんですね。
それで、彼の曲の音域が決まっていないのは、毎回作曲したピアノが違うからなのではないか、とも言われています。さらに、シューベルトは生涯に一回だけリサイタルをしているのですが、そのリサイタルも仲間たちがお金を出し合ってくれて実現したそうです。
友人の家にシューベルトの音楽活動を理解し、応援していた仲間たちが集まって、「シューベルトを囲む音楽会」が開かれていたそうです。これを、「シューベルティアーデ」と呼んでいます。
■シューベルティアーデ
仲間たちの中には歌手や詩人もいて、シューベルトの音楽を聴いて楽しむだけでなく、皆で歌ったり踊ったりしたそうです。シューベルトの曲にとても個人的な、親密な感じがあるのは、仲間たちのために曲を書いていたからかもしれません。
■シューベルトと舞曲
シューベルトは約650曲もの舞曲を残していますが、それも先ほど出てきたシューベルティアーデと関係が深いのです。寒い冬に温まるために、シューベルトのピアノに合わせて友達が皆で踊ったということです。「舞曲の形をかりた音楽」というのはクラシック音楽の中にもたくさんありますが、シューベルトの舞曲はまさに、実用的に踊るための舞曲でした。
そこでですね、私も実際にウィーンで踊りを習ってみました。ただ、これはシューベルトの時代の「ドイツ舞曲」や「レントラー」ではなく、ウィーンワルツです。
はい、というわけでね、とても恥ずかしいのですが。先生と背が違いすぎて、ほとんどただ振り回されているだけのようになってしまいました!
先生曰く、ちゃんと踊れるようになるためには何年もかかるということですが、ウィーンの人たちは今でもかなりの人数の人が子供のころから習っていて、踊れるそうです。
4 シューベルトの舞曲
それでは、ここでシューベルトの短い舞曲を聴いてください。
♪ドイツ舞曲 D365 Op.9-16
5 シューベルトの時代のピアノ
さて、実は、シューベルトの時代のピアノは今のピアノとちょっと違い、「フォルテピアノ」という楽器です。わかりやすいところでは、横幅が違います。これは音域が違うからで、今のピアノが88鍵なのにたいして、シューベルトの作曲したピアノは60~72鍵くらいだそうです。
■シューベルトとベートーヴェンのピアノ
これはシューベルトの家のピアノとベートーヴェンの家のピアノの写真です。ペダルが5本あるのが見えますか?今のピアノは2本か3本ですね。フォルテピアノは、その前の時代のチェンバロに比べて音が繊細だということが売りだったらしく、ペダルも音色を変えることにこだわってつけられていたそうです。ただし、一番右のペダルは、打楽器的に使われたそうです。たとえばモーツァルトのトルコ行進曲などのときに、一拍目に踏んでドンッという音を出したそうです。
そして、問題はフォルテピアノ自体の音色ですよね。聴いてみましょう。
♪CD再生
こんな音色です。今のCDは、小倉貴久子先生という日本のフォルテピアノの一人者の方が弾いていらしたのですが、その方にお願いして、私もフォルテピアノを弾かせていただきました。実際弾いてみた感想は、まずコントロールが難しいということですね。軽くて、今のピアノと同じタッチで弾くと、パキパキした音になってしまいます。レガートにするためにはとても気を使わなくてはいけませんでした。
でも、うまくコントロールすると、とても繊細で豊かな表現ができる楽器だと思いました。
よく、昔の時代の楽器を弾くときに、とてもストイックというか、かしこまって弾かなくては…というようなイメージを持ったりしますが、注意深く弾く必要はあるけれど、表現自体の幅はもっと自由に、大胆でいいのかな、というようなことを楽器に教えてもらったような気がします。
■シューベルトクイズ Vol.3
さて、ここで最後のシューベルトクイズです。
シューベルトが小さいころ、お父さんやお兄さんたちとホームコンサートをしていたのですが、そのとき彼が弾いていた楽器は何でしょう?
① ヴァイオリン
② ヴィオラ
③ チェロ
④ コントラバス
楽器の名前だけだとイメージしにくいかもしれないので、実際に弾いていただきましょう!
(Vn,Va,Vc,Bassの方々登場。ますの冒頭ワンフレーズを演奏)
ありがとうございました!さて皆さん、どの楽器だと思いますか?
正解は②のヴィオラでした。
6 シューベルトと室内楽
(注)本稿は読み原稿を整理したもので、実際の講演内容とは若干異なります。
第1部「ピアニストから見たシューベルト」
第2部「演奏会」