はじめに
皆さん、こんにちは。ただいまご紹介いただきました、高橋陽一郎です。今日は、このような会に呼んでいただき、大変光栄に思っております。これからこのタイトルに沿ってお話させていただきます。音楽という抽象的な藝術について話をお聞きになるだけでは苦しかろうと思い、一枚資料[i]をご用意いたしました。
「ヨーロッパ文化の結晶としてのロマン派音楽」というタイトルは、私が付けたものではなく、「ロマン派音楽研究会(ROMUVE)」から頂戴したものです。タイトルはしばしば結論でもありますから、このタイトルに同意できなければお引き受けできなかったと思いますが、音楽にかぎってはこのタイトルで大丈夫だと思い、お引き受けしたしだいです。ただ最初にこのタイトルで大丈夫だろうかと自問自答したのは、ヨーロッパ文化の頂点(結晶)は18世紀にあるという見解も根強くあるためです。18世紀というと、音楽ではふつう「古典派(古典主義)」の時代です。しかし―すでに結論の一つを最初に述べることになりますが―音楽にかぎって言うと、私たちがロマン派と呼んでいる音楽は18世紀の、通常は古典派と呼ばれている藝術運動と陸続きにあり、ある意味、逆にこの古典派すらロマン派の一部と呼んで良いような一面を持っております。それゆえにこのタイトルの妥当性を、再確信したしだいなのです。
唐突ですが、皆さんは音楽をお聴きになるとき、その背景にある思想や哲学を意識したことがおありでしょうか。音楽は大抵聴いただけでわかり、満足するものですから、その背景に何かがあるなどという発想はふだんしないものではないかと思います。じっさい、これからのお話に出てきます思想家たちの言説のなかにも、音楽は普遍言語であり、どんな人でも聴けばわかるものだ、というような主張が含まれております。しかしロマン主義の音楽に関しては、二つの点で思想が大事になって参ります。一つはこの時代の音楽を一つの文化として「理解」しようとする場合です。つまりただ聴いて楽しむのではなく、文化的現象として理解する場合には、どうしても思想が欠かせません。
これはどういうことかと言いますと、ただ「いい音楽だなあ」と聴いている分には、感覚だけ、耳だけで聴いていればよろしいのですが、一たびでも「どうして私はバッハの音楽よりもショパンが好きなのだろう」、「どうしてブラームスが好きなのだろう」と疑問を起こし、そこからロマン主義の音楽はそれ以前の音楽とやはり違うのだということに気づき、どうして違うのか、なぜ違う音楽になったのか、ということを探究しようとすれば、どうしてもその音楽を生み出した文化的背景つまり思想を知ることが必要になります。
もう一つは、ロマン主義の音楽のなかには、思想や文学を知っていないと鑑賞すらできないという類の音楽がたくさんあるのです。そういう二つの意味から、今日は、音楽を哲学や思想の面から考えてみたいと思います。
1.ロマン主義とは
まず「ロマン主義」という言葉について[ii]。Romantikはもともとロマンス語というラテン語の方言に由来しています。これはヨーロッパがラテン語を使用していた時代に、公式の言葉であるラテン語を使えない卑俗な物語を書くのに使われた俗語で、この俗語によって書かれた作品は空想や幻想に溢れた雰囲気を持っておりました。そこから後世に(とくに17世紀イギリスで)再読された空想や幻想に満ちた騎士物語や牧人物語の雰囲気を「ロマン的(romantic)」と称するようになったのです。
19世紀ロマン主義の作曲家で言いますと、シューベルト、ウェーバー、メンデルスゾーン、シューマン、リスト、ワーグナー、ブラームス、マーラー、R.シュトラウスなどがドイツ語圏におります。フランス語圏だと、ベルリオーズ、フランク、もともとポーランド人ですがショパン。イタリア人だとパガニーニ、それからロッシーニ、ヴェルディ、プッチーニなどオペラの作曲家。ロシア人のチャイコフスキーなどもロマン主義の作曲家に加えられてよいでしょう。ここにベートーヴェンが入っていませんが、彼はちょっと巨大すぎるのであとでご説明いたします。こういった人たちがロマン主義の作曲家に数えられます。
2.クラシックなものとバロックなもの
ところで、私たちがこれから俎上に載せるロマン主義がけっして特別な文化現象でないことは、最初に注意しておいてよい点です。以下に、ハインリヒ・ヴェルフリンという美術史家の著作『美術史の基礎概念』に載っている見解をご紹介したいと思います。
すべての西欧の様式がそのクラシック期をもつように、そのバロックももつ(…)。実際、争う余地のない事実は、波長の長短はあっても、線的なものから絵画的なものへ、厳格なものから自由なものへ等々、ある種の同音異義の発展がすでに幾度となく西欧で行われてきたことである。(ヴェルフリン『美術史の基礎概念』海津忠雄訳、338-339頁)
ヴェルフリンやその先輩のブルクハルトによれば、西洋の藝術は、整ったもの(クラシックなもの)とそこから逸脱したもの(バロックなもの)とが交互に現れると言います。そういう現象のほぼ最後に位置するのが、18世紀以降の古典主義とロマン主義で、ロマン主義は「逸脱」の方に入ります。ヴェルフリンは16世紀(ルネサンス)と17世紀(バロック)との対比を行っているだけですが、その類似現象は他の時代にもみられるので、私なりに表にしてみました。以下の表で、ゴシック体で記してあるのが、今日問題となる18世紀と19世紀の藝術および思想です。
ヴェルフリンの区分 |
特徴 |
類似様式時代 |
特徴 |
能力 |
代表的思想家 |
16世紀藝術 ルネサンス |
線的 明瞭 |
ギリシア・ローマ 17世紀古典主義 18世紀(新)古典主義 |
有限的秩序 明瞭性 客観性 |
理性 |
ゲーテ、カント シラー ヴィンケルマン |
17世紀藝術 バロック |
絵画的 不明瞭 |
末期ゴシック 19世紀ロマン主義 |
無限への憧憬 幻想的・神秘的 主観性 |
感情 想像力 知的直観 |
シェリング、ティーク ヴァッケンローダー シュレーゲル兄弟 シュライアマッハー |
左の絵は、メングスという新古典主義の代表的画家が新古典主義の代表的思想家ヴィンケルマンを描いて、新古典主義の代表作となった作品です。18世紀の古典主義(=新古典主義)も古典主義の例に漏れず、客観的・科学的にバランスよく対象を構成するという手法を採っております。
(省略) (省略)
Anton Raphael Mengs (1728-1779) Caspar David Friedlich (1774-1840)
「ヴィンケルマン肖像」 「月を眺める二人の男」
右の絵は、ロマン主義の代表的画家フリードリヒの描いた名作「月を眺める二人の男」で、これは「月(夜)」というテーマ、後ろ向きの人物、幻想的な木々、流動的な画面構成、そして実景ではないことなど(フリードリヒはある文書のなかで、「画家は眼の前に見るものだけでなく、己の内に見るものを描かなければならない」と述べています)、どれをとってもロマン主義の典型です。
ただ、どうしてそういう(様式が交互に現れるという)法則性が生まれるのかについてヴェルフリンは、「視覚(Sehen)」形式の変遷という説明をしているのですが、私には(たとえ仮説的であっても)もっと根源的なところからの説明がほしいところです。たとえば、少し前のリーグルだとか、ヴェルフリンの同時代人ヴォリンガーが主張する「藝術意思(Kunstwollen)」というアイデアが、私にはより説得的であるように思えます。つまり、様式史の変化の契機を、時代や個人のうちに現れる統一的な「願望」に見る見方です。前の時代の様式を否定し、違うものを求める願望ですね。なぜ古典主義のあとにロマン主義が来るのか。そこには、今からお話するように、ある「願望」があったと見なければなりません。
3.つながり―「理性」から「感情」へ―
18世紀は「啓蒙の世紀」と言われ、文明化を目指し、野蛮な時代から脱却しようとした時代でした。その武器となったのが、プラトン以来西洋人が人間のもっとも人間らしい本質と見なしてきた「理性(Vernunft, reason, ratio)」です。「理性」は人間が言葉を作ったり使用したりするための能力であるだけでなく、整然とした秩序や法則や調和を見出したり志したりする能力でもあり、さらには善悪の判別能力でもありました。ですから、人間が文明化し野蛮でない良い国家を作ったり進歩させたりするのに、理性は必要不可欠な能力と考えられました。
ところが1789年(18世紀末)にフランス革命が起こりました。これは当初、そうした進歩の実現として大変期待され、喜ばれました。ところが、皆さんご存知のように、フランス革命は当初の理想に反して、勃発後十年もすると、恐怖政治とそれにつづく動乱の時代をヨーロッパにもたらすことになります。そうすると、人々はそうした現実とは違ったところに救いを求めるようになります。これがさきほど述べた、時代の「願望」です。
しかし、救いを現実とは違ったところに見つけたいという人々の「願望」を牽制する哲学も当時はあったのです。それはカントの哲学です。カントの哲学は、人間という有限な能力しかもっていない存在者は、現実の世界を超えることができない、と主張していました。彼は言います。「物それ自体がどのようなものであるかは、われわれの認識の範囲のまったく外にある。」(カント『純粋理性批判』B235[A190])」ここで言われている「物自体(Ding an sich)」とは、平たく言えば、「神」や「魂」です。神を求めるのは結構だ、しかし認識も出来なければ、そういう存在者がいることを証明することも人間にはできない、そうカントは釘を刺しました。これは、18世紀の後半に主張され、ヨーロッパに君臨した思想です。
現実とは違ったところに救いを求めたい、しかしカントという理性の番人がそれを許さない、とすれば、人々はどう考えるでしょうか。カントが考えもしなかった能力を人間のなかに発掘しようとするのではないでしょうか。そしてじっさいその能力を発掘しました。それは、「知的直観」とか「感情」といった能力です(前掲表を参照のこと)。カントは「感情」という能力に現実を突破するような凄い力を見出していませんでした。「直観」についても同様です。カントにつづく思想家たちは、「感情」とか「知的直観」という力によって、カントが封鎖した神的なものに接近し、これによって慰めを得ようとしたのです。これこそロマン主義の思想です。典型的なロマン主義思想家であるシュライアマッハーは『宗教論』の第二講で「無限を把握したいとの渇望が強ければ強いほど、(…)感情自身はますます(…)無限者によって捉えられる」と述べました。つまり、人間が神を渇望することと、神が人間を捉えることとは相即の関係にある、しかもそれは「感情」を通路として行われる、と考えたのです。
4.音楽と感情
ここに「音楽」が登場してきます。「音楽」は、ロマン主義の思想家たちが重視した「感情」にもっとも近しい藝術領域であると見なされました。この時代の音楽についての言葉をいくつか抜き出してみましょう。ここではショーペンハウアーから引用していますが、彼の敵対者ヘーゲルも、音楽についてはほぼ同じことを言っております。
音楽は、非常に偉大かつ並外れてすばらしい藝術であり、人間の最内奥に力強く働きかけ、完全に普遍的な言語として(…)誰からも即座に理解される。(ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』正編)
音楽は、直接に意志そのものを表わす。音楽が聴き手の意志に、つまり感情、情熱、情緒に直接作用し、これをすみやかに高めたり変化させたりする理由も、ここから明らかである。(前掲書、『続編』)
とくにこのうちの二番目の文章中の「音楽は、感情、情熱、情緒に直接作用し、これをすみやかに高めたり変化させたりする」という文言の「音楽」を「無限者」に置き換えてみてください。さきほどのシュライアマッハーの文章と同じになります。「音楽」も「神」も、ともに「感情を捉えるもの」なのです。
「音楽とは何か」、「音楽は何を表現・模写しているのか」という問いは、古代からずっと発し続けられましたが、その答えは時代によってまちまちです。たしかにこの問いは、私たちの興味をそそります。たとえば絵画でしたら、風景を模写している、人物を模写している、と言えます。彫刻も同じように言えます。しかし音楽は何か具体的なものを模写しているとは言えません。しかも姿や形が見えません。デカルトの時代(16~17世紀)になってから音楽は、喜びや悲しみといった感情・情緒を模写したものであるという見解が出て参りました。それは何より音楽を聴くことによって私たちが嬉しい気持ちになったり悲しい気持ちになったりするためです。つまり、私たちが音楽を聴いて喜んだり悲しんだりするのは、当の音楽が喜びや悲しみを写したものだからだ、と人々は考えたのです。じっさい、中世の厳しい時代をようやくくぐり抜けた自分たちの時代の音楽は、人間感情を素直に表現したものであるとの自覚が当時の人々のうちにはありました。
しかしそうは言っても、音楽が私たちの情緒や感情を揺さぶる働きを「危ない」と見る見解も根強くありました。これは古代や中世から指摘されていた要素です。とくに中世には根強くありました。というのは感情を揺さぶられることが信仰を妨げになるからです。私たちは楽しい音楽を聴くときだけ楽しいのではありません。悲しい音楽も楽しいのです。しかし、音楽のもつこの楽しさは、どんな藝術よりも強力に私たちの感情を捉えます。つまり耳から入って私たちを楽しませる音楽は、享楽の道へ誘って人間を堕落させる悪魔のように考えられたのです。それは18世紀のカントにも残っています。カントは言っています。「音藝術は心情を揺さぶるが、それは陶冶としてではなく享楽としてである(…)。それゆえ、理性によって判定すれば、音藝術は他のどんな藝術よりも低い価値しか持たない。」(『判断力批判』第53節)カントは「陶冶(Kultur)」つまり人間を道徳的に高めることを基準に考えて、音楽を最低の藝術と考えました。つまり音楽は人間を、感情を通じて享楽的にしてしまう藝術であると考えたのです。
ところが、同じ根拠からまったく逆のことを考えたのがロマン主義の人たちです。つまり、音楽は感情を揺さぶるから良いのだ、感情を揺さぶられることは悪いことではない、まったくの逆だ―感情はカントが封鎖した絶対的なもの、物自体への通路なのですから―。しかも音楽は、さきほども申しましたように、目に見えません。そこが一層、神の化身のように考えられたのです。ロマン主義の時代に至って、これまで相反するものどうしと考えられてきた「神」と「感情」とが出会うことになったのです。あるいはこう言ってもよいかもしれません。「音楽」を聴くことが「神」と出会うことになるためには、どうしても「感情」を解放する必要があったのだ、と。
5.交響曲の美学
さて、以上でロマン主義の音楽の背景にある美学思想の外枠を手に入れたことになりますので、これからその美学思想を二つに分けてお話して参ります。
ロマン主義の音楽美学は第一に、「器楽の美学」です。18世紀の半ばまで、音楽の代表的な形は人間の声を伴ったものでした。それが18世紀の後半から楽器だけで演奏される音楽が最高と考えられるようになりました。これはどういう事情によるかと言いますと、直接的には、音楽の担い手の中心が声楽を必要とする教会から、世俗の貴族や市民になっていったということに依ります。このある種の世俗化(=脱教会化)は、その後「神」を求めることになるロマン主義への流れと一見合わない感じがしますが、そうではありません。ロマン主義は極端なことを言えば、「教会」の介在なく個人レベルで神を求める運動だったからです。ロマン主義がドイツで、しかもドレスデンとかワイマールといった北方の町で花開いたのは、それらの場所がカトリック教会から遠かったということにも依っています(といって、ロマン主義者たちが教会を否定しているわけではありません)。教会も凋落する。声楽音楽も凋落する。神は認識不可能とされる。そんななかで解放されたのは、世俗の人間には近しい「感情」でした。音楽は「器楽」でした。残るは、「感情」を表現する「器楽」を通じて神(絶対者)と出会うという思想だけです。このように19世紀の音楽美学は準備されていったのです。ですから、まとめると、まずあったのは社会的現象。これはカトリックを中心とするキリスト教会の凋落と声楽音楽の凋落、そして世俗の貴族と市民階級の台頭です。音楽としては優れた器楽曲の作曲でした。この二つの要因が19世紀ロマン主義美学に先立ちます。以上の歴史を単純化して図示しておきましょう。
・宗教(教会):声楽+理性(言葉)⇒神:18世紀以前
⇓
・世俗(貴族/市民):器楽+感情⇒神:ロマン主義
19世紀ロマン主義最初の音楽美学と言ってもいいヴァッケンローダーとティークの思想は、後者によって編集された共著『藝術についての幻想』のなかで語られています。
器楽において、藝術は何ものにも依存せず自由であり(…)その遊動をもって最深のもの、もっとも驚嘆すべきものを表現する。(…)器楽の最高の勝利であり、最高にすばらしい賛美は交響曲なのである。(ヴァッケンローダー/ティーク『藝術についての幻想』)
この著作は1799年のものです。ここでなぜ「交響曲」と言われているのでしょうか。ヴァッケンローダーやティークが念頭に置いているのは、シュターミッツやクリスチャン・バッハの小さな交響曲ではありません。ハイドンとモーツァルトの「大交響曲」でした。1780年代に、「ハフナー」から「ジュピター」に至るモーツァルト最後の六大交響曲が、1790年代にハイドンの12曲のロンドンセットが書かれ、これらが当時のヨーロッパのインテリたちに知れ渡っていたことを思い返すべきでしょう。
ここでこの講演の結論の一つを申し上げます。それは、ロマン主義の音楽美学を作った要因の一つは実作品であったということ、実作品が美学に先行していたということ、しかも、私たちが通常「古典派(古典主義)」と呼んでいる人たちの作品であったということです。この事実は、さらにつぎのことを示唆します。それは、通常「古典主義」と呼ばれている音楽と「ロマン主義」と呼ばれている音楽とを、まったく違ったものどうしとして見なしてはいけない、ということです。もちろんハイドンやモーツァルトを手放しで「ロマン主義」と呼ぶことはできないでしょう。しかし、両者のあいだには明らかな連続性があることを認識する必要があると思われます。音楽における古典主義を認めることじたい、音楽が情緒の表現を許すようになって以降は、かなり無理のあることだと認識する必要があるでしょう。さきほど名前を出したクリスチャン・バッハだとかシュターミッツ、それからクヴァンツやスカルラッティは古典主義的と呼びうるかもしれませんが、彼らにしても「多感様式」であり、その点ある種ロマン的だし、ハイドンのある時期も「疾風怒濤」の影響を受けており、やはりロマン的と言えないこともないからです。
6.ドラマの美学
今述べました「器楽の美学」は交響曲に代表される「絶対音楽」の美学と呼んでよいものです。「絶対音楽(absolute Musik)」とは、交響曲やソナタ、弦楽四重奏曲などによって代表されます。こういう種類の音楽を称揚するのは、ロマン主義美学のなかでも比較的初期の美学でした。ところが、ロマン主義も後半になりますと、こうした「器楽=絶対音楽」という意味での音楽美学から、「標題音楽=絶対音楽」という思想が優勢になって参りました。これは、音楽の目的を誌的想念の伝達に置く音楽で、早い話、文学化した音楽です。代表的な作曲家はリスト、ワーグナー、ベルリオーズなどで、彼らはとりわけ文学と音楽を結合した総合藝術としての標題音楽やオペラを作ることで、音楽を最高の藝術に高めようと努力しました。聴き手に勝手な解釈を許さず、言葉で導かれながら作品の十全な鑑賞に至らしめる音楽を、彼らは「絶対音楽」と呼びます。つまり初期ロマン主義とは「絶対音楽」観が違うわけです。リストが書いた文章を読んでみましょう。
標題(Programm)―つまりそれは純粋器楽に何らかのわかりやすい言葉を付けた序文であって、それによって作曲家が目的としているのは、聴き手が彼の作品に相対したとき、勝手に詩的な解釈をするのを防ぎ、聴き手の注意を作品全体の詩的想念(die poetische Idee)やその特別な一点に前もって導くことである。(…)標題の助けを借りて、作曲家は自らの[詩的]観念の方向及びそこから彼がみずからの主題を把握するところの視点を示すのである。(F. リスト「ベルリオーズとその《イタリアのハロルド交響曲》」三浦信一郎訳)
しかしこのドラマの美学、標題音楽の美学は、初期ロマン主義の「器楽の美学」のなかにも、じつは芽はあったとみることが出来ます。ショーペンハウアーの次の文章を読んでみましょう。
交響曲に感銘してすっかりそれにひたり切っている人には、あたかも人生や世界のありとあらゆる出来事が身辺を通りすぎてゆくさまを目に見るような思いがする。(ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』正編)
ここにはすでに、音楽の流れを人生のドラマのように捉える見方が垣間見られます。ワーグナーはこのショーペンハウアーの文章と同じことを述べております。
音楽の諸動機の運動、形成、変化は、ただ類比的(analogisch)な意味でドラマと似ているだけではない。そもそもドラマが理念を描写する以上、これは運動し形成し変化する音楽の諸動機を通じてのみ完全に明瞭に理解されうるのである。」(ワーグナー『ベートーヴェン』)
そして以下の文章は、「絶対音楽」という概念の初出なので紹介するのですが、ここにもベートーヴェンの「第九」第四楽章のレチタティーヴォが器楽の限界を超えて、ドラマティックな音楽の創造へ向けた準備を開始していることが書かれております。曰く、
[ベートーヴェン第九交響曲第四楽章のレチタティーヴォが]絶対音楽の限界をすでにほとんど離れながら、あたかも感動豊かな力強い言葉のように、決断を迫りつつ他の楽器に立ち向かい、最後に自らの歌唱主題へと移行してゆく。(ワーグナー「1846年のベートーヴェン第九交響曲上演報告」三浦訳)
ワーグナーが交響曲を、来るべき自分の「楽劇」へ至る前段階と見なしていたことは、ここから明らかです(これによってワーグナーが「絶対音楽」や「標題音楽」の概念を混乱させたという否定的評価も存在します)。
さきほどベートーヴェンは特別なのであとで述べますと言っておきましたが、ここを言いたかったわけです。つまりベートーヴェンの交響曲、とくに「第九」は、初期ロマン主義の音楽美学を具現する最高の到達点であると同時に、ワーグナーやリストの奉じるドラマとしての音楽の先駆けでもあった、ということです。「第九」は「ロマン主義Ⅰ」と「ロマン主義Ⅱ」とを分ける分岐点であると同時に、その両方の要素を兼ね備えた巨大な存在だということになります。そしてロマン主義音楽は、単に音楽をドラマとして見ただけでなく、文学によってそれを際立たせようとしました。ワーグナーが依拠した数々の伝説、リストが心酔した『神曲』や『ファウスト』などを思い起こせば十分でしょう。
結論
ロマン主義の音楽がヨーロッパ文化の結晶だとすれば、それはどういう意味で言えるのでしょうか。それはもっとも人間的なものである「感情」を肯定し、それを表現することによって同時に救いや慰めを人々に与えたという点にあります。泣きたいときに泣かせ、喜びたいときに喜ばせることはもとより、苦しいときに深い情感で慰めを与える音楽。こういう音楽が人々に支持されないはずがありません―そういう意味で、ロマン主義音楽はヨーロッパ文化の「頂点」であり「結晶」です。これが今回のお話を通じて私が言いたかったことの第一点です。第二点は、こうしたロマン主義の音楽は、感情を通路として無限者と出会うというロマン主義哲学の具現化でもあったということです。これが第二点。第三点は、こういうロマン主義の音楽は、通常私たちがウィーン古典派と呼んでいる音楽と簡単に区別されるべきではなく、むしろ陸続きであったということを理解すべきであるという点です。
私の講演のあとにつづく演奏会は、期せずして、私が「ロマン主義Ⅰ」と「ロマン主義Ⅱ」というふうに区別したロマン主義音楽の二つの特徴の代表者を、それぞれシューベルトとワーグナーとして配置し、そのうえロマン主義の先駆としてこれと安易に区別すべきでないと申し上げたモーツァルトまでを配置した、とても巧みなプログラムになっています。どうかお愉しみください。
以上で講演を終わらせていただきます。ご清聴ありがとうございました。
(2016年11月6日[日]、群馬県玉村町文化センターにしきのホールにて)
(注)本稿は読み原稿を整理したもので、実際の講演内容とは異なります。
[i] 当日配布した資料の多くは、本稿のなかに反映されている。
[ii] 「ロマン派」も「ロマン主義」もともにRomantikの訳語とみなしてよいが(竹内敏雄編『美学事典増補版』弘文堂、290頁、354頁)、両者を分ける向きもある。以下では、ロマン主義を奉じた人々(ロマン派)ではなく思想を扱うので、主として「ロマン主義」の語を用いる。