出身区分 | チェコ/ロマン派、民族楽派 |
生年没年 | 1841(ネラホゼヴェス)-1904(プラハ) |
学歴 | プラハ・オルガン学校 |
主な作品 |
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■作曲家への道のり
プラハ近郊で肉屋と宿屋を営む音楽好きの家庭に生まれたドヴォルザークは、通っていた小学校の校長からヴァイオリンの手ほどきを受け、9歳の頃にはアマチュアオーケストラで演奏していた。プラハの音楽学校を卒業後は、スメタナも指揮した国民劇場オーケストラでヴィオラ奏者として活動を始めることとなる。
その間、平行して作曲を続け、30歳の時、オーケストラを退団、本格的に作曲家として歩み始める。その後、ブラームスに認められ、ヨーロッパ中に名声が広まっていくことは音楽史で知られたとおり。
■得意楽器
バッハ、ベートーヴェン、シューベルトと同様に、ドヴォルザークもヴァイオリンよりもヴィオラを弾いた。大作曲家にヴィオラ奏者が多いのはクラシック界の七不思議。もしかすると、中音域を担当することと、作品全体を見通す能力との間には何らかの関係があるのかもしれない。
ドヴォルザークの作品中で特にヴィオラの印象が強いのが、弦楽四重奏曲アメリカ。冒頭で嬉しそうに歌うヴィオラがとても可愛いらしい!
■人間関係
夫婦円満だったドヴォルザークの妻は、元々ドヴォルザークが愛した人の妹。後年、義姉の死に際して、彼女が好きだった歌曲の一節をチェロ協奏曲のフィナーレに忍び込ませ、彼女に対する深い思いを芸術の形で昇華させたことは有名な逸話。
また、音楽以外の話題で彼の人間性を示すエピソードと言えば、やはり『鉄オタ』だろう。駅で何時間も機関車を眺めたり、新型車両の製造番号のチェックや模型を製作するなど、彼の鉄道オタクぶりは、現在の鉄ちゃんとなんら変わらない。
気乗りしない新大陸アメリカへの赴任も、アメリカの蒸気機関車を見たい一心で受けたという話や機関車の音を聞き異常を発見し、乗客の命を救ったなどという伝説めいた話も伝えられている。ユモレスクや新世界交響曲のフィナーレは、機関車の動きを音化したのではとも言われる。また、弦楽四重奏曲《アメリカ》の第4楽章を聴いていると、冒頭のリズムからして、ガタゴトと線路の軋みや機関車の動きを感じながら旅しているようなすがすがしい気持ちになる。
■主な作曲分野
彼もまた、交響曲からオペラまで、大作曲家と言われるにふさわしい守備範囲の広さを誇っている。中でも9曲の交響曲と多くの室内楽が目を惹く。新世界を含む後半の5曲の交響曲はそれぞれ素晴らしく、あまり聴かれない5番や6番もなかなか魅力的な作品。しかし、最高傑作の称号は、やはりチェロ協奏曲に与えられるべきだろう。協奏曲という分野で、これほどまでに壮大な構想と豊かな思いが高度に両立されている作品は、モーツァルトやベートーヴェンの一部の作品を除き、ほとんどないと言っても過言ではない。
「とても好き」の回答数は297名、「比較的好き」の回答数は212名と、8割を超える回答者がドヴォルザークを「好き」と回答し、高い人気ぶりが伺える結果となった。ポイント数でも、ドヴォルザークが尊敬する先輩、ブラームスの2199に続く2055ポイントを獲得した。ベートーヴェンなど他の大作曲家を押しのけての3位は見事。
楽器別に見ると、弦楽器全般からの評価は安定的に高い。木管楽器では、ややファゴットからの評価があまり高くないことが目につく。金管楽器では、トランペットからの高評価も交響曲第8番や新世界を思い出せばうなずけるが、チューバからの評価が低いのは、新世界でのあまりにひどい扱い(第1楽章tacet、第3~4楽章tacet、出番は第2楽章、しかもその両端部分のみ)のせいもあるだろう。
年齢別には、10歳~59歳までの年齢層ですべてチャイコフスキー、ブラームスに続く第3位を維持している。60歳以上の年齢層では、ベートーヴェン、マーラー、モーツァルトに抜かれ6位に甘んじている。どちらかと言うとドヴォルザークは若者の音楽なのかもしれない。
ドヴォルザークの作曲家難易度は6.0で、今回ベスト10に入った作曲家の中で最もやさしい(難易度が低い)作曲家と評価された。
チャートでも一目瞭然であるが、すべての楽器において、難易度の平均を大きく下回っている。ドヴォルザークは、「アマチュアにとって最も演奏しやすい作曲家」と分類できる。
ただし、この評価は新世界と第8番の交響曲2作品の評価が強く反映したものであることに注意が必要。第7番や今回の調査外の中期交響曲などは、かなり「手ごわい」と思われるので選曲の際には注意が必要だ。